人と話すたびに、自分がいかに浅い人間かを実感する。
否、浅いと思おうとしているだけなのか?現に浅いのか?主観と客観の確認はできていない。
人と話すときのコツは、相手の好きなことを話そうとすること?
相手の話したいこと、興味のあることをはなそうとすること?
難しい。
相変わらずコミュ障全開である。
しかし、恐れているだけでは前に進めないのもまた事実だ。
楽しむことが大事だ。
会話が楽しいと思っているときには、相手に楽しませてもらっている。
考えが錯綜する。
自分のアイデアなのか人の意見なのか分からなくなる。
自分がオリジナリティのない、ツギハギだらけのパッチワーク人間に思えてくる。
無力だ。
またゼロからの始まりだ。
積み重なっていない。
いや、積み重なってはいるはずなのだが、気持ちの上ではゼロ`からのスタートだ。
心がしんどい。
不安は表に出さず、努力は人に見せず、
やるんだ。淡々と。
淡々と、やるべきことをやるだけだ。
それでいいのか?
常に不安がつきまとう。
いやだ、いやだ。
確固たる信念を持って突き進めない。一歩進めば、あり得たかもしれない自分が潰えたことに心が苛まれる。
今の自分の延長戦上としての未来を見るべきなのに、存在しない別の未来に心を囚われている。
なんて惨めな心持ちだろう。
そんなのやめて仕舞えばいい。
なぜそうなるのだろうか。
iPhoneの画面が割れているからだろうか?
日々目が悪くなっていくからか?
他人にできることが、自分にできないからだろうか?
他人にできることばかり見るのは、昔からの悪い癖だ。
自分にできて他人にできないこともあるのに。
なぜそれを見ないのか。
人のことばかり気にしていても幸せにはなれないぞ。
自分のできることを伸ばすべきなんだ。
だけど、他人にも興味を持ってうまく接しなければならない、難しいな。
そんなに器用じゃない。
皆そうなのか?
器用なふりをして、内面では、自分の不器用さと葛藤しながら生きているのか?
それともそれは、そうであってほしいと願う、俺の妄想にすぎないのか?
自分の苦しみを、自分だけの物だと思いたい愚かな人間なのかもしれない。
今日はよくない文章だな。
失敗を恐れて、ただ、縮こまっている人間の書く文章だ。
他人のできることばかり羨んで、自分に自信がない。
他人とうまくやろうとしすぎるあまり、自分の心を他人の心に型どって、好きなものを見失ってしまった、そういう人間の書く文章だ。
電車で誰も隣に座ってくれないと、自分が迫害されているように感じる人間の書く文章だ。
隣に座ってもらえるような努力はしていないくせに。
気持ちの悪い奴だな。
倒してやる。
現状が嫌なら、変えてみろよ。
悩むのは行動してからにしろよ。
他人の動きに流されているだけのくせに、ウジウジ悩んでんじゃねえよ。
自分なりに頑張って決断して、それがうまくいかなくて後悔して、行動することが怖くなってる。
あー、糞まみれのハンバーガーってこういうことか。
それでも生きていたいと思うほどいいことってあるのかな。
金持ちになりたいな。こういうこと書くたびに思う。
惨めに死にたくない。
愛されて死にたい。
他人に振り回されたくないけど、他人から愛されたい。
都合がいいことばかり考えている。
自分の中を覗いてみたら、クソまみれの空洞だったというだけの話。
やることやったら、少しは自信がつくのだろうか。
いつも他人への自己開示を恐れている。
なにも変っちゃいない。
簡単には変わらないのか、変わったところを認識していないのか。
不器用だなー。