飲み会があった。
相変わらず、うまくは話せなかった。
二次会まで行ってはみたものの、話の進むままに、皆が笑ったらワンテンポ遅れてそれっぽく笑うことを繰り返していた。
何か言わなければならない気がして、一言話してみるも、特に反応はなく「今話が勢いに乗っていいところだから、お前は出てくるな」と言われているような気がして張り付いた笑顔になって。
でもそんなことは思っていないのか、思っているのか分からない。
むしろ、「お前の発言はきちんと聞いているからな。でも、今は他に話したいことがあるから、また今度にしような。でも、発言してくれてありがとう。きちんと聞いてはいるからな」
なのか。
解釈次第である。
こんな振る舞いしかできないなら、ロボットと変わらなくないか?
いや、変わらなくはない。
僕の場合、おそらく笑顔は若干引き攣っていただろう。ロボットと違うところは、笑顔が軽く引き攣る程度に、自分の表情形成は自ずから行っているものではなく、他者の真似をして行っている形骸的なものにすぎないという、ある種の負い目があるというところか。
いずれにせよ、AIに真っ先に代替されるのは、二次会における僕の座席だろう。
なんだか他の人が俺を無視したような書き方をしてしまったが、実際のところ、皆なんだかんだ優しいのである。
いるものとしてカウントしてくれるし。話は振ってくれるし。(振り返せなくて申し訳ない。最適解を探してしまいワンテンポ、いや、ツーテンポスリーテンポと遅れてしまうのだ。)
僕を主体に話を盛り上げてくれたこともあった。(しかしそんな中で、何が最適解なんだろう、ああ、準備してこなかった、ああ、チャンスはあったのに、こんなことしか言えないなんて。持ちネタを作ろうとか、鉄板トークを作ろうとか、人生で何度思ったことだろう。ああ、情けない。なんて考えていた。バカ。)
特に、こんな僕にとりわけ目をかけてくれる物好きもいるものである。
同期の会話が上手い人に、メンターされていた。
複数人のテーブルで、一対一で話してくれて、ヒントや課題まで与えてくれて。
なんつーか、優しい。というか、物好き?
と同時に、弄ばれているんじゃないかという気持ちもある。
俺にキャラを演じさせて、楽しんでいるんじゃないかと。操り人形にする楽しさというか、自分の働きかけを契機として、他者の行動様式が変容する様を楽しむ。インセプション的な。
いや、そこまでする動機はないか。
考えすぎだ。
あと、事実の確認だが、どうやら僕は、周りからは典型的なINFPあるいはINFJだとは認識されているらしい。
そこに関しては自己認識と他己認識の齟齬はないようである。
思ったが、キャラを確立するというのは、一つの自己防衛の手段だろう。
自己防衛、いや、コミュニケーションの円滑化?
こういう思考をするときに常々思うことだが、人との関わりは難しい。
僕にとって、思考とは、抽象的な思考を暴走させることだ。
飛行機のように、長い時間をかけて加速して飛び立つ。
故に、長い長い、滑走路が必要なのだ。
しかし、会話はそうではない。
はなから加速できないどころか、加速しては止まり、飛び上がり、不規則なような、しかしどうやらそこにはルールというか、方向性のようなものがあるらしい。
1人で勝手に加速していく奴はいらない。
会話では、加速していく過程はいらないのだ。端的に、結果を分かりやすくぱぱっと伝えたり、ゴールを決める、と思ったらまた次のゴールを目指してパスをし合う。
バスケットボールのようなものか。
僕もできれば皆んなとバスケをしたいと思う。
でも、どうしても上手くやろうとして、ワンテンポ発信が遅れるのだ。
いや、ワンテンポ遅れるどころか、もうノーチャンスの泥沼である。
トラバサミに囚われたたぬきである。
何か変化が起きたら、不真面目そうな人に原因があると言ってイジってみる、そしてその人は返す。キャラを確立している人は強いと思う。
あとは、どんな話題にも一通り対応できる人。
あいつ相変わらず陰キャだなあ、とか、そんなふうに思われないことの優先順位は高くないはずなのに、それを不安に感じる自分が情けない。
何も話せないくせに、
話が進んでいく。そんな中で、
と、同時に、足りない頭で観察していた。
さっきも書いたけど、ああ、話題が一通り尽きてきて、おとなしくなってきた時に、何か予想外の変化が起きたら、ちょっとズレた人や不真面目な人に、「お前がやったのかと思った」といじってみるんだなとか、それに対して、何か面白い事を言うんだなと。あと、面白い動きをしていたら、例えツッコミして場を沸かすとか。
そういうことを考えていたと伝えたら、「真面目だな」と言われた。
これを真面目だと感じるのか。
ということは、君は不真面目なのか。
人との関わりには、正解も答えもない。
だが皆なぜか正解らしき振る舞いをとり、僕の行動は不正解と思われるらしい。
正解らしきものを掴み取りたい。
ルールブックがほしい。
経験が足りない。センスも足りない。なら、経験を積むしかないじゃないか。
今の自分の経験値は、下手すれば小学生にも劣る。
人生では決断をしなければならない局面が何度も訪れるが、どちらか片方を選び取るのは難しいと感じる。
両方を選んだ道を並行して進んで、最後にどちらかいい結果に終わった方を一つ選び取りたいと思う。
たらればの夢物語。
このような考えがポンポンと浮かんでくることが、情けない。
このブログがいつか同僚に見つかって、バレるのだろうか。回し読みとかされたりするんだろうか。(←自惚れすぎである。)
ああ、やめてほしいな。
俺たちの飲み会の話を、お前の自己表現のアイデアにするなとか、思われるかもな。
気持ち悪い(率直)とか思われるかもな。
会話を楽しんでおらず、自分の頭で自慰行為してばっかりじゃないかとか思われるかもと。
こうやって保険をかけている時点でキモい。批判される覚悟が足りないのである。
撃っていいのは、撃たれる覚悟のある者だけだ、なんて言葉を思い出して。
いや、撃っているつもりはない。ただ、書かずにはいられないのだ。こうでもしないと、生きていると思えないのだ。
飲み会で何も大したことを話せず(いや、話せてはいるのだ。でも納得のいくものではなかった。)、そして思考を睡眠の沼に溺れさせて、同じことで悩み続けて衰えていく、それは生きていても死んでいるのと一緒じゃないか。
まだ書ききれていないし、まとまりがないが、家に着いてしまうので、一旦これで公開する。
今感じてことは、どうせ朝を迎える前に夢と共に消えてしまうから。
消える前に、存在証明を残して、未来の自分を楽しませるのだ。
頑張れよー。未来の自分。
死ななきゃなんとかなるから。