【PART1】現実世界で充足しようとする人ほど、結婚すると苦労するという話

今回は「結婚」について語りたいと思う。

この記事での私の主張は一貫しており、極めて明快だ。

それは、現実世界でやりたいことが多い人ほど、結婚生活で苦労する可能性が高いということだ。

噛み砕いて説明していこう。

まず、「現実世界」とは、我々人間が生きる、この世界のことである。今、呼吸をしながら電子端末の画面をスクロールしているあなたの体が存在している、その世界のことだ。さて、あなたはこの現実世界で、これからやりたいことがいくつあるだろうか。何でもいい、世界を旅するでも、フルマラソンを完走することでも、タワマンに住むことでも、起業家として成功することでも、目的なくバイクで街を駆け抜けるでも、何でもいい。そんな大それたものでなくていいから、幾つでも、好きに思い浮かべてほしい。

*1

思い浮かんだだろうか?

では、そのやりたいことたちを頭に残したまま、次の文章を読んでほしい。

貴方の元に、ある石がやってきた。それは貴重な石である。これから先、死ぬまで面倒を見なければならない。その石は、一生かけて磨き上げることによってまばゆく光り輝き、この上ない無上の幸せをもたらす。しかし、磨き続けなければ、その石は汚れ、貴方に幸せどころか不幸をもたらすだろう。仕舞いには弾け飛んでなくなってしまい、弾け飛んだ破片は、あなたに傷をつける。この石を一生磨き上げ続けるためには、貴方は、貴方が現実世界でやりたいことのうちいくつかを諦めなければならない。

さて、唐突だが、あなたはこの石を手に入れるという選択をする。それによって、あなたはこの石を磨かなければならなくなるわけだ。では、石を磨き続けるために、貴方が挙げたやりたいことのうち、いくつか諦めなければならないとしたら、どうだろうか?

なにも、石磨き屋さんになることを要求しているわけではない。石を磨いている時間以外の余った時間で、いくらでも好きなことをしていい。しかし、石を磨く時間はそれなりの時間と労力をかけなければ、石磨きを立派に務め上げることはできないだろう。

そんな状況に立たされたとしたら、あなたは、やりたいことをどれなら諦めることができそうだろうか。

もし諦めたとして、それをできないまま死ぬとしたら、未練が残るだろうか?その未練の大きさを想像したあなたは、そんなふうに死ぬくらいなら、石なんて初めから欲しくない、と思わなかっただろうか。

そう思われたようであれば、おそらく貴方は結婚に向いていないのだろう。

*2

あるいはまだ結婚するには若すぎるということだ。

 

さて、読者の皆様には遠回りをしていただいたが、ここで上述した「石」とは、とりも直さず言えば「結婚生活によって生じる負担」である。結婚生活を維持するということは、生涯にわたって、さまざまな負担、たとえば経済的、肉体的、果ては時間制約的なものまで様々である負担を負い続けるということである。結婚によって生じる負担と聞いて、結婚式などの大きな経済的な負担を伴う行為を想像されたかもしれないが、もっと日常的な負担がその多くを占めている。

*3

例えば、二人分の家事をこなすこと。二人分の洗い物をする。自分が飲み干したわけではない麦茶のボトルを洗わなければならないときもあるだろう。親切心から家事を手伝ったにもかかわらず、なぜか相手は気に食わなかったらしく、出来栄えに文句をつけられてしまい、理不尽にも罵倒されてしまうこともあるだろう。そうなれば、互いに不快な思いをする。他にも、子育て。子供が生まれたら、夫婦の少なくともどちらか一方は、自由に外出をしづらくなる。保育園から連絡が来て、平日も中抜けしてお迎えにいかなければならないこともあるだろう。このやうな負担の出現という制約があるがゆえに、これまでやっていた飲み会や、仕事に没頭するといったことを続けられなくなる。

このように、結婚生活を維持するために負いつづける負担には、結婚生活によって新規に負わなければならない負担の出現という積極的な側面と、これまでやっていたことができなくなるという消極的な側面との両面がある。この両面は、コインの裏表のような不可分の関係にあり、いずれか片面だけを取り去ることは極めて困難である。もし片面の負担が耐え難いのであれば、コインの所有権を放棄して、両面丸ごと手元から消し去ってしまうほかない。

したがって、結婚生活を続ける限り、そのような負担と制約を恒常的に受け続けることになるのである。

「結婚は人生の墓場である」というクリシェは、唾棄すべき迷信であるが、このような、結婚生活に生贄を捧げ続けざるを得なくなることによる気苦労を、端的に示していることについては、一考に値する。

ところで、妻は、特に夫に対して、産前・産後の立ち居振る舞いに対して不満を抱くことが多いという。配偶者に対する憎悪が生まれる局面はいくつも想定されうるが、その不満は、往々にして、上記に挙げたような、結婚生活によって生じる負担の中では比較的小さな負担を日々、自分だけが一方的に負わされ続けることに起因するのである。日常的な負担への対処に関する恒常的な非協力的によって蓄積され続けた不満が、ある日、心の淵を超えた瞬間に、配偶者への苛立ちとして、爆発的な怒りを伴って発露するということは、客観的にみれば突発的な怒りであるものの、当人の立場に立ってみれば、想像に難くない。

*4

繰り返しになるが、結婚するということは、結婚生活によって生じる負担のために、自分が自由に使えたはずの資源、資本的資源、身体的資源、および時間的資源その他都度必要に応じてあらゆる資源を生贄に捧げるということなのである。ここから一つの結論が導出される。それは、

やりたいことが沢山ある人ほど、結婚することによってより多くの負担を被る

ということである。より多くの負担を負うということは、より多くのやりたいことを犠牲にするということである。

ここで言いたいのは、あくまで程度問題である。結婚生活とは、これまでの別個独立での生活を営んできた男女が、新たに二人で生活を営むことなのであるから、少なからず何らかの負担が生じるのは当然である。

*5

ゆえに、負担が生じるということそれ自体を殊更に取り沙汰しても意味がない。負担が生じるという事実は、その結婚によって結婚生活の各々の構成員が得られる満足度の程度とは関係がない。あくまで影響するのは、その負担の程度である。

とはいえ、結婚によって生じる負担は大きくて当然だと思われるかたもいるだろう。

私は、これは多くの人にとっては真実であると思う。しかし、ごく少数の人々には当てはまらないと推測している。どのような人かといえば、現実世界でやりたいことがさほどない人間である。彼らは、環境さえ整えば、しばしば思索に耽り、観察した事象について、絶えず抽象化することを試み、それを絶対的な真実とすることも好まず、あくまでも反証可能性を留保しながら、真理を求めてあくなき探求を続ける者たちである。

一般的に、世人の関心は現実の事柄に向く。流行りもの。自分を恒常的に喜ばせて、応援したいほど夢中にさせてくれるキャラクター(いわゆる「推し」)。全国展開のチェーン店で食べられる、季節限定のスイーツ。最近発売したゲーム。休日に仕事仲間や取引先と行うゴルフ。何だっていいが、それらの共通点としては、現実世界で個別具体的な形を伴って存在し、それに取り組むために一時的な身体的、時間的、又は経済的なコミットを必要とする類のものであることと説明することができる。また、それによって自身を共同体の一員であると確認させてくれるようなものであるとも言えるだろう。

そして、その関心の程度、さらにいえばその関心の源泉となるその人の気力が強ければ強いほど、往々にして、彼らは我が強く、自身の活動が制約されることに強烈な忌避反応を示すようになる。制約される対象は、その人の最たる関心事に限られない。他者との交流、享楽的な趣味、労働、果ては淫蕩に至るまで、制約されようものなら、服の裾を土足で踏みしめられたような嫌悪感を感じる。

これほどまでに取り沙汰され、世人の非難を受けることが明らかでありながら、世に顔を出す職業をしている人たち、例えば政治家や、動画投稿者の人たちがしばしば不貞行為をいとも良心の呵責なく行うのも、これを立証しているといえよう。

彼らにとっては、制約されることにより感じる不快が非常に強い。この制約による不快を解消するために、自身が枷をはめられていない自主独立な存在であることを自身に言い聞かせようと試みているのである。現実世界に強い関心を抱き、何かを成し遂げんとする者にとっては、制約されることは、何よりも耐え難い軛であるからである。

とはいえ、彼らを制約するものは、もちろん単なる概念(それはしばしば道徳なもの)であって、現実世界における身体的制約の類ではない。しかしながら、可能性が狭められることは、彼らにとっては、今まさに現実世界において軛をはめられ、身動きがとれず不快な状態におかれているのと相違ない苦しみを感じさせるのである。そして悲しきかな、彼らはこの苦しみを癒すために、現実世界における反証、すなわち概念が自身に禁じる行為(それはしばしば非道徳的なもの、例えば不貞)の実行を試みるのである。

 

(PART2へ続く。)

*1:

勝手な想像で語って申し訳ないが、私のブログを読みにくるような人たちは、やりたいことをさほど多くは持っていないのではないかと、私は予想している。どちらかといえば、現実世界にはあまり興味がなく、精神的な充足を是とする人たちが多いのではないだろうか。どちらかといえば人間関係には奥手な方で、日差しの差し込む窓際で一人、本を読んだり、何気なく猫と戯れたり、好きな人と冗談を言い合いながら過ごしたり、そんな日常の些細な幸せを感じて過ごしていたい人たちなのでは無いだろうか。自分の目的のために、人との衝突することは避けたい。そう思う人が多いのではないだろうか。そんな日常の幸せを追い求めているわけでは無いにしても、誰も傷つけない夢や目標を持っていると思う。もし可能であれば、どんなことをしたいのか、ぜひ教えていただきたい。

もしあなたが、今私が挙げたようなタイプの人であるならば、そんなあなたは、そうではない人たち、お金があり、毎日が充実しているように見える、話ずきで、曜日を問わず同僚や上司と飲みに出掛け、飲み会では話を盛り上げ、人とのコミュニケーションも上手い、休みの日はいつも出かけて何かしらの趣味に邁進しているような人たちに対して、けだし強烈な劣等感を抱いてしまうことがあるのではないだろうか。(ないなら非常に健全である。ぜひそのまま健やかに生きてほしい。)

しかし、こと結婚生活というものに関しては、そんないわゆる社会的な成功をおさめているようにみえる素敵な人たちでさえも、必ずしも上手くいくとは限らないのである。

不倫によって信頼関係は崩壊し、婚姻関係が解消されてしまったりする。

それはつまるところ、結婚生活がどの程度上手くいくかということと、その人の現実世界における立ち回りの巧みさは、必ずしも比例しないからである。

結婚生活を連立方程式として捉えてみよう。左辺を諸条件、右辺を結婚生活の満足度としよう。すると、現実世界に於いて巧く立ち回り、富や他者からの評判を得る力という変数は、確かに左辺を構成する変数の一つではあるが、その方程式において、さほど右辺にプラスをもたらす変数ではないのである。それどころかむしろ、増大するほど右辺に大幅なマイナスをもたらす変数である可能性すらある。(著名な哲学者たちが、その著書のなかで科学の用語を勝手な使い方をして、すなわち濫用しているということが明らかにされて久しい。そのような経緯を知っている以上、私もあまり数学などの概念を以て説明することには及び腰ではないのだが、このような基礎的な数学を、本来の意味と大きく乖離することのない意味で使用することは、科学を愛する人々から、濫用との誹りを受けることはないだろう。)

 

なぜ、コミュニケーション能力に長け、継続的な社会的成功を収めている者でさえ、一生の愛を誓ったはずの相手との関係が冷え込み、挙げ句の果てに離婚や別居に至ってしまうのか、それを理解するには、私が本稿で提示する命題が助けになるであろう。

*2:

「結婚に向いていない」という言い方をしたが、それは厳密に言えば、現代的な、夫婦がなるべく共同で負担を分割して家事育児に参画することが求められる様式の結婚に向いていないということである。

ここで言わんとすることは、後述する内容から明らかになる。

*3:

結婚式とは、結婚においてどんな役割を果たすのだろうか。

結婚生活を続けるということは、上述した通り、何かの制約を受けながら生活することを意味する。結婚する前の状態から、人はその将来は予見している。

では、そのような結婚生活に、何の前触れもなくいきなり突入してしまったら、どのように感じるだろうか。

大半の人は、これまでの生活に恒常的な制約が入り込む生活に気が滅入ってしまうのではないだろうか。

だから、今から結婚生活を過ごそうとする人たちに対して、周囲の人は、貴方たちは正しい行いをしたのだと、祝われるべき行動をしたのだということを表明する。結婚をするという行為それ自体を祝福することによって、不安を緩和するのである。

結婚をするということは、そのために生じる様々な負担を、生涯にわたって負うという覚悟をするということで、結婚式を挙げるということは、周囲の人が、その結婚をそれを後押しするということなのである。

本当に大事なことは結婚それ自体よりもずっと先にあるのだが、それを結婚する時点で理解することは難しい。

本稿の趣旨からは外れるが、私は、お金もないのに豪勢な結婚式を挙げようとする人の感性が分からない。そんなものにお金をかけるくらいなら、貯金したり、株を買ったり、二人で暮らすための家にいいベッドを買ったりした方がいいのではないだろうか。

要するに、見栄や虚栄心のためにかけているのではないかと言いたい。

いや、金が潤沢にあるのであれば、好きにすればいいと思う。家柄が良くて諸々のしがらみがある場合もあるだろうし。

言いたいのは、庶民で、大した貯金もできていないのに、豪勢な結婚式を挙げるために無理して大金を叩くのは、使い方がおかしいだろという話。

別件で、よく「結婚するのが難しい」とかいう人がいるが、結婚するということ自体は、ペラ一の紙を役所に提出する手続きを行うことのみによって成立するのだから、別に難しいことではない。

難しいのは、結婚にふさわしい相手を見つけること、そして結婚に至るまでのやりとりが大変なのだ。

*4:

自身のやりたいことを犠牲にして家庭の雑事を行わなければならない際、人は極めて大きな苛立ちや失望を感じるものである。

詳しくは、バートランドラッセルの幸福論の記述で補うとよい。

*5:

現行民法においては、男女の結婚のみを認めている。