信頼していた人に、自分の頭で考えついた話をして「つまらない。その他大勢と同じ」と言われて、ふと考えた。
「その他大勢」と「オンリーワン」の違いってなんだろう?
絶対的な評価軸はなくて、あくまでも相対的な評価にすぎないのかもしれない。
人は、自分にとってなんとなく気に食わないものや劣等感を抱いているものを『その他大勢」にまとめてしまうものであるのかもしれない。
とはいえ、自己を正当化するだけでは根本的な解決にはならない。もっと客観的に考えるほうがいい。
なんなんだろうな。違い。
(こんなブログを書いてる奴は「その他大勢」なのだろうか。永遠の課題である。)
少なくとも、両者の違いが表れるのは、その人が吐く「言葉」だろう。
言葉は思考を表現するツールだ。思考をしている人からは、つまらない言葉が出てくるし、面白い思考をしている人からは、面白い言葉が出てくる。そういうものだと思う。
厳密に言えば、言葉が表すアイデアにオリジナリティがあるのかどうか。
単に今まで使われたことのないオリジナルな言葉を吐き出すだけではいけない。ランダムな文字列を表示するだけのロボットは「オンリーワン」ではない。
吐かれた言葉が、その人の経験に裏付けられている必要がある。
となると、面白い経験を積めばいいだろうか?
必ずしもそうとは限らない。
大事なのは、経験したことから何を考えるかであるはずだ。
となれば、オンリーワンの人間になるには、豊かな経験をして、オリジナリティのある思考をすることを繰り返せばいいということだろうか。
世の中の「オンリーワン」の人間
なんにせよ、信頼している人から「あなたつまらないね」と言われるほど辛いものはない。
ただ、自分の日頃の言動についても、反省すべきだ。
人の話をつまらなさそうに聞いていなかったかな?
相手の意見を尊重していたかな?
コピーの人生を生き過ぎたかな...?
一度きりの人生だから、オリジナルとして肯定されてえな。
それが好きな人だったらいいんだけどな。
別に好きな人に肯定してもらわなくてもいいのかもな。
幸せにしたくて頑張って考えて、成長したつもりだったんだけどな。
うまくいかないな〜
いいや。黙々と行動しよ。
人の言葉に傷ついてたら何も成し遂げられないし。
「つまらない」と言われて傷ついて何もしなかっただろうけど、それでは本当に「つまらない」人間になってしまうはずだから。
少なからず、行動すれば結果は伴う。
行動しよう。行動。
(以下走り書き。)
市場価値を高めて、自分で働く場所を選べるようになりたい。
やりたいことを全てできることはない。
何かをするには何かを犠牲にしなければならない。
人は複数の選択肢があるとき、失うもの(選択肢のうちから一つを選ぶことで失うことになるもの。すなわち、選ばなかったもの)の価値を課題評価してしまう。予想通りに不合理。第9章。扉を開けておく。
もっとフラットな目線で考えよう。
フラットに。自分にとって何が大事なのか。
選びたいものが、他のものを犠牲にしてでも得たいものなのか。
拘っているものは、それほどまでに固執するべきものなのか。
選ぶということは他を切り捨てるということだ。
(まぁそもそもおおおお。内定もらわなきゃ意味ないんだけどね。)