人のいう言葉を鵜呑みにして、自分の言葉であるかのように喋ったら、試験に合格するかもしれないけれど、いい●●●●●にはなれない。
あらゆることに疑問を持ち、まずは自分の頭で考えて、自分の言葉で、自分の疑問を持つ。それが予習。事前に暗記してくることではない。
それを履き違えている教師のなんと多いことか。
人間は「なぜ?」を起点に進化してきた。
なぜ太陽は登って、沈んでを繰り返すのか?
なぜ人は生きるのか?
なぜ暑くなったり寒くなったりするんだろうか?
なぜ火がつくのか?
なぜ肌の色が違うのか?
この海の向こうには、なにがあるだろう?
そうして、人は新たなものを生み出し、進化してきた。
生まれたばかりの人間は、そんな「なぜ」の塊だ。
進化できる、無限の可能性がある。
スマートフォンで他人のしたことを見たり、起きたことを見たりする。そうして。自分の頭で考えるよりも前に、関係ない情報や他人の意見を入れてしてしまう。
ただでさえ仕事が忙しく、家に帰って疲れ果てているのに。
でもそれも悪くない。生きていて、この社会を成り立てせているだけで偉いから。
今日、51歳の引きこもりの女性のドキュメンタリーを見た。
51歳の女性。19歳のときから引きこもりになった。高校を卒業後、パートに出たが、簡単なことしかできず、クビにされた。それ以来、32年間引きこもりになった。
62歳の兄も引きこもりだ。彼女と同じく、もう数十年間引きこもって暮らしている。
そんな二人の面倒をみていたのは、91歳の父だった。
生活は月々19万円の父の年金が頼り。行政支援は受けていなかった。兄はパチンコに月4万円、タバコに月2万円を費やしている。
社会を成り立たせていないからダメだとか、そういうことが言いたいんじゃない。
ただ、ふと思い出した。
誰よりも自分を責めているのは、きっとあの二人のはずだ。そう思った。
余談なので終わる。
なにはともあれ、歳をとってしまうにつれて「なぜ?」の素質は消え去ってしまったのだろうのか?
答えは否。
眠っているだけ。
誰だって、眠っている心を呼び起こすことができるはずだ。
世の中には、変えられないものと変えられるものとがある。
変えられないものは、過去に起きた事実。これは変えられない。
他方、変えられるもの。過去の事実への解釈。そして、未来に起きる出来事。
(哲学的な話は抜きにして)この2つは、勇気があれば変えることができる。
何にでもなれるって話。
まぁ才能の差はあるけどね。
めでたしめでたし。